九谷焼の歴史
九谷焼は、明暦元年(1655)に、加賀藩の命により、有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、江沼郡九谷村で開窯したのが始まりです。しかし、わずか100年たらずで廃窯。原因はいまだ定かではありませんが、この間に焼かれたものを、現在「古九谷」と呼んでいます。
廃窯後100年は、日本の陶器といえば伊万里焼でした。ところが、江戸後期に、瀬戸で磁器産業が成功したことをきっかけに、加賀でも、春日山焼や若杉焼が作られ始めました。
さらに、その若杉焼が成功したことで、かつて古九谷を生み出した大聖寺藩でも、古九谷再興の動きが強まりました。その中心人物が、大聖寺の豪商、吉田屋伝右衛門だったのです。文政六年(1823)、九谷村の古九谷窯跡の横に登窯を築き、翌年、九谷焼を焼き始めました。
明治時代に入ってからは、九谷庄三(くたに・しょうざ)の彩色金襴手が有名となり、大量の九谷焼が海外へ輸出されました。そのきっかけとなったのが明治6年(1873)のウィーン万博です。「ジャパンクタニ」として九谷焼の名が一気に広まりました。
作品は豪快かつ色調渋く独特の魅力があり、柿右衛門、色鍋島、仁清と並んで、日本の色絵陶磁の代表的なものとなっています。
現在では宮内庁より贈答品として使用され、また英国チャールズ皇太子御成婚祝としても献上され、外国の著名な方々にも広く愛用されるとともに、今では日本の美として大変親しまれています。
また、人間国宝 三代德田八十吉をはじめとして、吉田美統、仲田錦玉などが、モダンで優美な色彩の九谷焼を生み出し、その伝統を発展させています。
九谷焼は、日用品から美術品まで幅広く種類があり、初めての方も慣れ親しまれた方も、その独特な美しさに、心癒されるひとときをお過ごしになられることでしょう。
九谷焼は陶器?磁器?
九谷焼は、陶器も磁器も両方あります。上絵付けを九谷でしたものを「九谷焼」としています。
陶器・磁器では使い方や扱い方の違いがあります。その性質と見分け方を知っていれば、九谷焼選びが数段充実するでしょう。
陶器
- 原料は陶土(粘土)で温かみがある
- 全体に、厚くぽってりした感じ
- 指ではじくと、鈍い音がする
高台には、直に土の色が出ます。陶器と磁器を見分けるのに一番分かりやすい所です。
磁器
- 原料は陶石(石の一種)で白く堅い感じ
- 薄くて軽くて丈夫
- 指ではじくと”チン”と金属質の音がする
高台にも釉薬をかけてあり、白いのが磁器の特徴です。
九谷焼の上絵付けの魅力
九谷焼は、日本を代表する色絵陶磁器です。その特徴であり、最大の魅力は「上絵付け」です。
「上絵付けを語らずして九谷はない」と言われるほど、色絵装飾の素晴らしさは、豪放華麗です。
上絵付けとは、本焼きした陶磁器の釉薬(ゆうやく)の上に、顔料で紋様を描き、再度焼く技法のことで、九谷焼や有田焼などに広くその技法が用いられています。
九谷焼の上絵付けの特徴は『赤、黄、緑、紫、紺青』の、五彩手(通称九谷五彩)という、みごとな色彩効果と優美な絵模様に表れています。その他、『緑、黄、紫、紺青』を使用した青手古九谷の塗埋手など、色彩のハーモニーが魅力です。
九谷五彩
青手古九谷