九谷満月は石川県の九谷焼・和食器専門店です。

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徳田八十吉追悼ページ

耀彩の輝きは永遠に…

徳田八十吉先生のご冥福を
心よりお祈り申し上げます

三代徳田八十吉先生と、九谷満月のご縁

古希展を開催させていただきました

私たち九谷満月は、徳田先生とは長いお付き合いをさせていただいておりました。
人間国宝になられる前から、作品を取り扱わせていただいておりました。

人間国宝になられてからは、多数の方がお買い求めになられ、作品の大多数は当社を通して販売させていただいたと言っても過言ではありません。

そんな中で、徳田先生の古希を記念して、平成15年に「耀彩展」を開催したのです。
九谷満月限定の「古希記念特別作品」をお作りいただき、その発表も兼ねて行われました。

12月には八十吉先生をお呼びして『徳田八十吉古希展 感謝の集い』を片山津のホテルで開催させて頂きました。
お招きした60数名の方にも大変ご満足いただき、当店スタッフ一同、素敵な想い出となっております。

九谷満月とのご縁を大切にしてくださった徳田先生に感謝しております。

徳田八十吉先生のごあいさつ

古希展の時に、徳田先生にご挨拶のお言葉をいただきました。

『戦後しばらく、経済は社会主義、文化は抽象化への全盛でした。
私の周辺でも必然の流れと信じ、誰も疑わない時代でした。

具象から完全抽象に至る論理は、若者にとって大きな魅力と説得力がありました。
私には「九谷に描かれる絵」は、抽象でなければならなかったのです。

若い時、「アーチストの道は棄ててクラフトマンの道を歩こう」と思った私でしたが、「クラフトも創作に徹すればアートへの道が開けるかもしれない」という淡い思いもありました。
齢七十、遺された人生を、一生懸命、淡々と生きてゆきたいと思っています。
「作家の年輪は作品の積み重ね」です。
少しでも大きくなればと思っています。ご高覧を乞います』

古希記念特別企画作品など

この古希展のために、特別企画作品などを制作してくださいました。

徳田八十吉という人物、耀彩の誕生

多趣味で多才なダンディズム

徳田八十吉先生は多趣味な方で有名でした。
将棋、かるた、鯉、釣り、社交ダンス、カラオケなどなど、とても好奇心旺盛な方で、作品と同様、趣味にも打ち込み、道を極められていました。

中でも年に何度か「トローリング」をする為にオーストラリアまで行っていたという、無類の釣り好きでした。
トローリングとはカジキマグロを釣りあげるスポーツです。

徳田八十吉先生が釣り上げたカジキマグロの剥製が工房に高々と飾られています。
私達が工房にお伺いした時に見せて頂きました。

もともと、陶芸家になるつもりはまったく無かったという徳田先生。
なにせ学生時代からダンスの先生をしていたという、ダンディな感性の持ち主で、遊ぶことが大好きだったと公言されていました。
24歳のときに、ようやく「芸術家」ではなく「工芸家」として立つことを決心したそうです。

それからは、日本伝統工芸展初出品作が優秀賞NHK会長賞を受賞をはじめとする数々の受賞、エジプト・カイロでの個展などで活躍されました。

平成9年に「重要無形文化財彩釉磁器保持者(人間国宝)」に認定されてからは、メトロポリタン美術館、文化庁、国立博物館、国立近代美術館、大英博物館、スミソニアン・サックラー美術館などに作品が収蔵されるなど、その色彩、技術を全世界に発信されていきました。

耀彩の誕生秘話

徳田先生は、「自分の上の世代の作風をまねしたくない。僕は僕の作品を作る」と、あえて「絵」から離れ「色」と向き合いました。
九谷焼には、もともと「九谷五彩」といって、赤・紺青・黄・緑・紫の五色が使われていますが、このうち赤は酸化鉄である紅柄で、ガラス質となる釉薬ではないので、徳田先生は四彩を基本としています。

また、実際には上絵釉薬の調合次第で色は無限に存在するので、徳田先生は初代徳田八十吉の調合法を解読して、その調合を少しずつ変えた釉薬を各種作り、黄色から緑、緑から紺、紺から紫の間にどれだけの変化があるか試し焼きしてみたそうです。
すると約70もの色が識別可能であることがわかったのです。
(実は、初代は、釉薬の調合法を家族・門弟にも明かさず、“隠し手帳”に暗号を用いて記していたのです!)

そこで色目の諧調にしたがって筆で順番に線を描き並べて高温で焼成してみると、境目が溶け合って美しいグラデーションのもとに幾種もの色が輝いているものが生まれました。
このグラデーションが、九谷焼の歴史に新たに刻まれる「彩釉(さいゆう)」という技術です。

また、通常の九谷焼の工程では、素地を成形し、素焼して施釉のあとに本焼き、それに呉須で絵柄の輪郭を描き、その上に厚く絵の具を乗せて、約800度で焼成します。

しかし、徳田先生は、絵付け焼成を約1050度という高温で行うのです。
これは、より高温で焼き、ガラス化した釉の中に色彩、輝きを閉じ込めるためです。

そうして生まれたのが「耀彩(ようさい)」です。
世界を驚かせる、まったく新しい色彩、九谷焼が誕生したのです。

プロゴルファー石川遼選手の優勝トロフィー

2008年に17歳の若さでプロに転向を表明した石川遼選手。
2008年に開催された「マイナビABCチャンピオンシップ」で初優勝しました。

予選落ちが続いていた為、インタビューでは涙をみせるシーンもあり、とても感動的でした。

そのプロ初優勝の時、人間国宝・三代 徳田八十吉先生の作品が優勝トロフィーとして使われたのです。
耀彩(ようさい)の輝きに、石川遼選手も嬉しさ倍増だったことでしょう。

このトロフィーと同じものを、九谷満月店内で展示しております。
ぜひお越しください。

後世に伝えたい、匠の技

耀彩の輝きは永遠

九谷焼といえば、五色で描かれた鮮やかな「絵」。
一方、徳田先生が作り出したのは、「色」。
上絵釉薬の「光り輝く色彩」そのものの美です。

日本の伝統である色絵磁器の世界に、新たに切り込んだ革新的な仕事であり、だからこそ、「人間国宝」となり、世界でも注目を浴びるのです。

一色一色を狭い幅で克明に彩描していくだけに、手間隙がかかります。
また、なめらかなグラデーションにするためには、器の表面に、少しでも凹凸があってはいけないのです。影ができてしまうからです。
ですから、素地は焼成されたあと、入念に研磨されるのです。

そして、溶け具合を想定しながら丁寧に彩描し焼き上げ、さらにその具合を見て再度彩色して焼き上げるのです。
場合によっては3度、4度と繰り返すこともあるのです。

そうして、ガラス化した釉薬の中に色を閉じ込められた作品は、永遠に輝き続けるのです。

北陸最大級の九谷焼専門店 九谷満月だからできること

九谷満月は、先述の徳田先生とのご縁もあって、作品の大半は、当店を通して販売しております。
店内には、常に徳田八十吉作品が展示され、実際に手に取ってご覧いただくことができます。

また、この道数十年焼き物名人の山下店長が、皆様にわかりやすく丁寧に、九谷焼のことや作家の説明をいたします。

ここでしか聞けない徳田八十吉先生のエピソードも、たくさんあるかもしれません。

ただ、お亡くなりになられたことで、作品数は限られ、これから先は入手が困難になると予想されます。
実物をご覧になりたい方、ご購入を検討されていらっしゃる方は、是非一度ご来店の上、お気軽にご相談ください。
オンラインショップでも取り扱っております。

皆様のお越しを、心よりお待ちしております。

九谷満月店長山下より

たくさんの思い出とともに…

当店、九谷満月では「徳田八十吉先生」の作品を、人間国宝になられる前から販売させて頂いております。 特に人間国宝になられてからは、毎日のようにお客様がお求めになられ、時には作品が品切れになり、ヤキモキした事もあります。

八十吉先生の作品を毎日毎日、目に触れ、手に触れさせて頂いているのに、いつ見ても新鮮さがあります。また、常に斬新な素晴しい作品を発表されていて、感動の日々でした。
そして、徳田八十吉先生の作品を通じ、数々のお客様との素晴らしいご縁をいただきました。

特に思い出されるのは、当店で初めての大イベント『徳田八十吉 古希展』でした。
その年は三越本店でも古希展を開催されるという事で、最初はお断りされました。
それでも、何度も何度も八十吉先生に私達の熱い思いをお伝えし、お願いにあがりました。
そして何度目かにお伺いさせて頂いた時に、ようやく承諾を頂いたのです。

作品選定・パンフレット制作・DM制作 等、準備に半年かかりました。
平成15年の秋からいよいよ『古希展』を開催する事ができ、スタッフ一丸となり、お客様に喜んで頂けるよう、心をこめて取り組ませて頂きました。
そして、『徳田八十吉 古希展』は大成功で終える事ができました。

古希展終了後、12月には八十吉先生をお呼びして『徳田八十吉古希展 感謝の集い』を片山津のホテルで開催させて頂きました。
全国から約60名余りのお客様をご招待し、八十吉先生に1時間の講演をして頂きました。
ところが、その講演で八十吉先生も気分がよろしかったのか、30分も延長になる嬉しいハプニングもありました。

その後の懇親会はなごやかな雰囲気で、招待させて頂いたお客様にも、大変喜んで頂く事ができました。
特に、八十吉先生が書いてくださった色紙を、参加者全員にプレゼントさせて頂き、一緒に写真を撮らせて頂いた事は、皆様の心に残ったことでしょう。
感謝の集いが終わった後、お客様から感動と感謝のお礼状やお電話を、沢山頂きました。

平成21年8月26日、八十吉先生が亡くなられたと連絡が入り、その後、お客様からも 「残念ですね」「もっと活躍してほしかった」というお電話を多数頂きました。
私の胸の中にもポッカリと穴があいたような寂しい気持ちです。

日本だけでなく世界で活躍され、『九谷焼』『ジャパンクタニ』を世界に広め、九谷焼業界にも貢献された『人間国宝 三代 徳田八十吉』
この名前と作品の輝きは永遠に私達の胸に刻まれていくことでしょう。
私達、九谷満月からも深く深く、感謝いたします。
長い間本当にありがとうございました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

平成21年9月   九谷満月 店長 山下義信